園田高弘は、全体的には折り目正しい正統的なアプローチにして、細部ではこのフレーズはこう、あのフレーズはこうとアイディアが楽しいピアニスト。一曲聴き通すと浩瀚な書籍でも読んだような気分になります。録音がメジャー・レーベルからでていないせいかあまり取り上げられませんが、Look4Wieck.comとしてぜひ!とお薦めしたい一人。
生年は1928年、ピアニスト清秀の長男として東京に生まれました。父清秀はロベール・カサドシュに学んだことがあり、後年高弘もフランスに留学することになりますが、レパートリーの広さを考えても、園田高弘と言えばドイツ系というのはちょっと偏ったレッテルと思われます。
ピアノを始めたのは五歳の頃。その数年後から、日本に難を逃れていたレオ・シロタに10余年師事しています。このシロタの薫陶が大であることは、自伝にもあきらかなこと。序でながら、レオ・シロタはキエフ出身のユダヤ系ロシア人でブゾーニの愛弟子で、欧州はウィーンを本拠地に活躍していた当時のヴィルトゥオーゾの一人。ハルピン生まれのピアニスト ヴェデルニコフが少年時代の1935年に東京に滞在していたそうで、やはりシロタの弟子だったそうです。
1948年には東京音楽学校を卒業し、同年尾高尚忠指揮の日本交響楽団(現NHK交響楽団)の伴奏で、ショパンのピアノ協奏曲第1番を弾いてデビュー。その後、ヤマハの川上源一氏の奨めで1952年に渡欧。第八回ジュネーブ国際音楽コンクールを受けたものの、本戦にも残れずに落選しています(1位はレオン・フライシャー)。コンクールの最中に痛感したのは、「生きた音楽をまるっきり知らなかった」との想いといいます。
ここで一年奮起した園田は、一年余りパリに滞在して、マルグリット・ロンに私淑。同門にはサンソン・フランソワもいて親しくつきあっていたそうです。練習のみならず、この頃は、当時の名だたる名演奏家、指揮者フルトヴェングラー、ピアニストのバックハウス、ギーゼキング、ケンプ、はたまたヴァイオリニストのティボー、オイストラフ、ハイフェッツ等々のコンサートにも足しげく通い、彼らの音楽を聴くことを通じて、自分と音楽との係わりが大きく変わったと述懐しています。
その後は、日本と欧米で演奏会生活に。例えば60年代には園田の演奏を気に入ったチェリビダッケとイタリアで度々の共演も行っています。80年代からは世界の著名な音楽コンクールに審査員として招かれることも多くなり、自らの名を冠した園田高弘賞ピアノ・コンクールも大分で始められ、これは85年を初回に16回開催されました。
園田高弘は、一般的にはベートーヴェンやバッハのスペシャリストとして名を知られ、自身ドイツ音楽で身を立てることを第一義としましたが、レパートリーはショパン、リスト、ドビュッシー他、現代曲まで幅広く、名録音も数多く残しています。
自ら起こしたEVICAレーベルを中心に遺された多くの録音もさることながら、その著作やwebsiteの発言は、一ピアニストの思索の跡としても、20世紀の日本と西洋の音楽事情の記録としても大変興味深いもの。CDのライナーノートも自ら著述したものが多く、その内容は大変示唆に富むものです。
一言でいうなら、語りかけるピアノとでも言ったらよいでしょうか?しかし、それは文学臭のするものではなく音楽による語りです。コンサートでは結構茶目っ気のある演奏もしていて、聴かせどころたっぷりに弾いた様が未だに記憶に残っています。いろんなアイディアが詰まっていて、ゆったり聴くというより、「なんだ?なんだ?」と聴き入ってしまうことが多いです。この頁を通じて、園田氏の演奏を聴かれる方が増えればと願っております。
幅広いレパートリーを持っていましたが、今回それが幾分でも見渡せるように選択してみました。その中でも最初の一枚と言うと、べートーヴェンかショパンの前奏曲か・・・
べートーヴェンが重なるので挙げませんでしたが、若い頃の録音も山ほど残っていて、例えば、DENONから近衛秀麿と共演したピアノ協奏曲第5番もリリースされております。これは近衛秀麿の名演の手に入れやすい録音としても貴重なものです。
著作やwebsiteも大変面白いものです。是非ご覧下さい!
この演奏家に関するDVDのご紹介はありません。
園田高弘公式website:
自作レーベルEVICAの旧サイトが閉じられ、いつの間にやらかっこいいwebsiteになっておりました。経歴、録音、著書、元々サイトに掲載されていた園田氏自身のエッセイ − これがvolumeもあって、内容も面白いものです − もちゃんと載っています。写真も豊富でチェリビダッケとの2shot写真も!シンプルなデザインで使いやすいものです。
水戸芸術館 園田高弘スペシャルインタビュー:
水戸芸術館 園田高弘ピアノのための公開セミナー目次:
水戸芸術館のwebsiteにある各記事へのリンクです。これも大変示唆深い内容。面白い部分を例えばインタビューから一部分引用しますと、今の音楽界の現状についてどう思うかという質問に答えて、『やはり、伝統が非常に希薄な感じがするね。いわば「無国籍軍」だろう。こないだドイツのあるプロフェッサーとコンクールで会って、彼に「バックハウス聴いた、ギーゼキング聴いた」って話をしたんだ。すると彼は不思議な顔をするわけ。(中略)彼は世代的にはバックハウスを生で聴くチャンスがあったのに、聴いていない。「じゃあ誰を聴いたんだ」ってきいたら頭かかえちゃった。そういうのが今、ドイツのプロフェッサー。教育が悪いんだ。愕然とした。 』と。こういったやや辛口コメントが他にも多数。
2003年 大阪センチュリー交響楽団定期出演時のインタビュー:
2003年ですから最晩年の発言です。小泉和弘指揮の大阪センチュリー交響楽団定期演奏会でブラームス ピアノ協奏曲第2番を共演した際の講演前日のインタビュー。どういう考えの演奏家か知りたいという場合、手始めにおすすめしやすい内容と存じます。